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東京家庭裁判所 昭和60年(家)14467号 審判

申立人 岩本和子

相手方 岩本正司

主文

財産分与として、相手方は、申立人に対し、金150万円を支払え。

理由

1  申立の趣旨及び事由

(1)  申立人と相手方は、昭和46年2月3日婚姻し、昭和48年11月5日長男武司、昭和52年1月7日二男豊司をもうけたが、昭和59年12月24日、長男及び二男の親権者を申立人と定め協議離婚した。

(2)  申立人及び相手方は、婚姻後協力して、別紙物件目録1記載の建物及び同2記載の借地権を取得した。この評価額は、合計1800万円を下らない。

(3)  よつて、離婚に伴う財産分与として、申立人は、相手方に対し金500万円の支払いを求める。

2  当裁判所の判断

(1)  当裁判所の申立人及び相手方に対する審問結果並びに本件記録によれば、次の事実が認められる。

ア  申立人と相手方は、昭和46年2月3日婚姻届を提出し夫婦となつた。

昭和48年11月5日には、長男武司が、昭和52年1月7日には二男豊司が申立人と相手方の間に生まれた。

イ  相手方は、中学校を卒業後、○○製作所に勤務していたが、勤務先の社長加藤晃は、昭和42年2月、相手方のために別紙物件目録2記載の借地権を取得してやり、相手方はその取得のための金額として124万1500円を加藤晃に支払うこととした。相手方は、この金員を、昭和43年末に50万円、昭和44年末に50万円支払い、残金24万1500円は申立人との婚姻後の収入により支払つた。

ウ  相手方及び申立人は、昭和45年から昭和46年3月にかけて、別紙物件目録1記載の建物を建築した。その工事費180万円のうち、50万円は相手方が結婚前からの貯金で支払い、残金130万円は銀行から借り入れて支払つた。この借入金は昭和50年ころまでに完済した。

エ  申立人は、昭和51年ころまで申立人の実家の飲食店で稼働し、月額3万円程度の収入を得ていた。その後も内職やパートとして働いていた。一方、相手方の年収(手取り)は、昭和45年から50年までは約100万円から約190万円程度、昭和51年から58年までは約270万円から約350万円程度であつた。

オ  申立人は、昭和51年ころから、相手方に無断でいわゆるサラ金等から借金をするようになつたが返済に窮し、次第にサラ金等からの借金が増加していつた。また、申立人は、昭和57年から58年にかけて相手方に相談することなく相手方の親族から合計60万円を借り(別紙債務目録1ないし3)たり、昭和58年には別紙物件目録1記載の建物に根抵当権を設定して金員を借り受けている。昭和58年夏ころになつて、序々にこれらの借金の存在が相手方の知るところとなり、相手方及び申立人は、昭和59年2月及び11月に、加藤晃から560万円、申立人の父から50万円を借り(別紙債務目録4ないし6)サラ金等に返済した。

カ  相手方は、申立人に頼まれ、昭和55年ころ及び昭和58年の2回にわたつて、申立人の弟が金員を借り受ける際の保証人となつた。申立人の弟はこの借金を返済できなかつたため、相手方及び申立人は、別紙債務目録7及び8の借金をして保証債務の支払いをした。

キ  申立人及び相手方は、多額の債務をかかえた状況の中で、お互に夫婦としての信頼を失い、昭和59年12月24日協議離婚をした。二人の間の長男及び二男の親権者は申立人と定めた。また、債務の返済については、別紙債務目録1ないし3、5、6、8は申立人が、同目録4、7は相手方が責任をもつて行う旨約した。同目録6の負債は、直接には相手方が借り受けたものであるが加藤晃の了解を得、申立人が単独で債務を引き受けることとなつた。

ク  現在、申立人は、昼は内職をし、夜はスナックで稼働しており、公的扶助を合わせると月額約27万円の収入があり、さらに、相手方から長男及び二男の養育費として月額2万6000円を受け取つている。他方離婚時の約束に基づく債務の返済は、毎月1万5000円を支払つているに過ぎない。相手方は、月収約22万円(手取り)であり、養育費を支払つているほか、月約12万円を離婚時の約束に従い債務弁済に当てている。

(2)  以上の事実を前提に、本件の財産分与請求について判断する。

ア  まず、別紙物件目録1記載の建物の評価について、申立人は500万円相当、相手方は160万円相当と主張しているが、同建物は昭和45年から46年にかけて180万円で建築された木造建物であるので、右費用及び築後の年数からして、現在においては最大限160万円を超えることはないと認めるのが相当である。

次に、別紙物件目録2記載の借地権の評価については、申立人は1356万円、相手方は1043万円と主張しているが、昭和60年の同土地付近の土地の公示価格は1平方メートル当たり23万6000円であるから、同土地の更地価格は約1935万円、その借地権価格は7割とみて約1355万円とみるのが相当である。

イ  別紙物件目録1記載の建物については、(1)のウで認定したとおり、総工費180万円のうちの130万円を、婚姻後の収入で支払つているのであるから、夫婦が協力して取得した財産としては現在の建物評価額の180分の130、すなわち、約116万円ということができる。

他方借地権については、(1)のイで認定したとおり、取得費用124万1500円のうちの24万1500円を婚姻後の収入で支払つているのであるから、夫婦が協力して取得した財産としては現在の借地権の評価額の124分の24.15、すなわち、約264万円ということができる。

したがつて、申立人及び相手方がその婚姻中に取得した財産は合計380万となる。

ウ  ところで、(1)のオで認定したとおり、申立人は、相手方に無断でサラ金等から借金を重ねたため多額の債務を負うこととなつた。この債務は、申立人及び相手方が別紙債務目録4ないし6記載の借金をして返済をした。また、申立人は、親族から同目録1ないし3記載の借金もしている。これらの借金の原因について、申立人は、相手方の収入が少なかつたこと及び相手方が家計を省ず自動車や付合いに多額の費用を支出したためと主張している。しかし、一件記録によると、相手方の収入が高くないことは明らかであるが、当時の標準生計費と比較してもサラ金等から借金をしていかなければ生活できない額であつたとは認められない。また、相手方が、家計に対する認識が甘く、自己の収入の割に自動車や付合いに金をかけたと思われるふしもあるが、これとても、サラ金等から借金をしなければ家計が成り立たないという事情がわかりさえすれば容易にその是正を図つたであろうと推測できる。しかるに、申立人は、昭和48年こそ相手方に対し給料が足りない旨を話した程度で、サラ金等から借金をしなければ生活が成り立つていかないというような説明はおろか、家計が苦しいといつたことも以後相手方に一切説明することなく、相手方に無断で慢然とサラ金等から借金を重ねたものである。したがつて、膨大化した借金については、家計に無関心であつた相手方にも責任はあるものの、申立人の責任の方が大きく、その責任の割合は、申立人7、相手方3と考えるのが相当である。

これを付言すれば、別紙債務目録1ないし6の残債務額585万円のうち、7割の410万円については、申立人が責任を負つてしかるべきものである。しかるに申立人は、(1)のキで認定のとおり、離婚に際し370万円の債務負担を約しているに過ぎない。なお、別紙債務目録7及び8記載の債務は直接夫婦の生活に関わるものとして生じたものではないので夫婦関係をめぐる一つの事情として斟酌するにとどめる。

エ  そこで相手方が申立人に対して支払うべき財産分与の金額について判断するに、夫婦が婚姻期間中に協力して得た積極財産の半額(190万円)から40万円(ウの410万円と370万円の差額)を控除すると150万円となるところ、一件記録から認められるその他一切の事情を考慮し、この150万円をもつて財産分与の金額とすることが相当であると考える。

なお、財産分与の方法については、申立人及び相手方の現在の生活状況、夫婦で取得した財産の状況等を勘案して現金で支払わせることとする。

(3)  よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 山名学)

別紙債務目録

貸主

借主

借入時期

借入金額

離婚時残額

備考

1

山野操

申立人

昭和57年12月

20万円

15万円

2

広川末子

昭和57年ころ

10万円

5万円

3

下坂敏子

昭和58年6月

30万円

30万円

4

加藤晃

相手方

昭和59年2月

260万円

215万円

昭和59年4月より

相手方給料より

月々5万円天引きで返済

5

申立人の父

申立人

50万円

40万円

6

加藤晃

相手方

昭和59年11月

300万円

280万円

7

○○信用金庫

相手方

昭和58年11月

270万円

210万円

8

下坂敏子

申立人

相手方

昭和58年11月

200万円

200万円

別紙 物件目録1、2〈省略〉

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